ラーメンズ、そして小林賢太郎さん
2020年12月1日、私の出勤時間直前に飛び込んできたショッキングなニュース。
小林賢太郎さんがパフォーマーを引退されるとのこと。
つまり、もうラーメンズを生で観る事は叶わないし、待っていた新作にも出会えない。
思い返せば人生のあちこちにラーメンズが散りばめられていた。
私が記憶しているうちで一番初めにラーメンズを知ったのは、
1998年11月3日オンエアの「NHK新人演芸大賞」でした。
ネタは、例の「日本語学校」です。
1998年って、ワタシ中学1年生なのね…昔だね…。
この時から私の人生はラーメンズと共にあることが約束されたのかも知れません。
因みにこの放送はVHSでしっかり録画していたのですが、間違ってレンタルビデオで重ね撮りしてしまいエンディングしか残っておらず…号泣しました…。
大好きな柳家喬太郎さんも出てたんですよ…まだ悔いてる…
当時九州の片田舎大分県在住で、TVはNHK2局と民放が3局だったかな。
(高校生くらいの時に実家がケーブルTVに加入したので、GAORAでbaseよしもとの面々は見てたのですが、それはまた別のお話。笑)
親が疎いためインターネット環境ゼロ、個人ケータイは高校生になるまで未所持。と言うかさほど普及してなかった。
そんな当時の私が次にラーメンズに出会えたのはNHK「爆笑オンエアバトル」です。1999年3月27日が初回放送。
ボキャブラ天国に代表されるアイドル的なお笑いブームが去り、ネタ番組なんて皆無な時代でございました。
そういえば我が夫は中学時代の同級生(お互い一方的に知っていたのですが、直接対峙したのは中2の後半に委員会で。)なのですが、「オンバト観てるんや?!」みたいな会話をしたような記憶がある。
そのくらい、周りで観てる子は多くなかったのかも。布教しまくりました。
ラーメンズ自体は98年から本公演を劇場で行い始めましたが、そんな情報の入手も出来ず。
ひたすらオンバト(と多分書籍やVHSも買ってたかも)で食いつなぎました。
2001年になると私も高校へ入学し、少し自由度が増します。
この頃ネット環境のある友人たちが「千葉!滋賀!佐賀!」を知っていて吃驚し、
聞いたところ「元ネタは知らない」って言うんすよ。
2ちゃんねる経由みたいですが、私はむしろ2ちゃんねるの存在を知らなかった(笑)
取り敢えず布教しまくりました。
あ!途中からしか見れなくてこれまた号泣したのが2001年10月14日放送のNHK「トップランナー」らしい…デジスタって番組も何故かオープニングしか残ってなくてこれはいまだに自分を責めてる…
あと、ドラマ版金田一少年見てたらチャネラー桜庭が仁さんで、くすぐったい気持ちになったのも2001年みたいです(笑)。仁さんの俳優デビューってこれなんかな?
2001年かな。友人から「大分にラーメンズ来るらしいよ?!」との噂を聞きつけました。
びっくりしてぴあか何かに問い合わせたら、もう売り切れちゃってて。悔しいのなんのって。
そして運命の2002年2月11日。
なんと再びラーメンズが大分県にやってきた!チケット取れた!
おかんと共に行き、大大大爆笑して帰ったのを覚えています。
因みに内容は、第10回公演「雀」までのコントから8本!
いわばここまでのベスト盤やないか。
因みに「タカシと父さん」では大分県ネタをふんだんに盛り込んでくれました。
そして今では考えられない、エンディングトークに2,30分割いて下さるという贅沢な時間でした。
その後に大阪、東京、札幌、福岡で本公演「CHERRY BLOSSOM FRONT 345」が始まり、続いて大阪、東京で2002年~2003年と年を跨いで「ATOM」上演だったようなのですが、この直後にまた、大分に来てくれたんです!!!
地方で、1日2回公演(14時と18時)ですよ!
無論、両方行きました。
内容は第12回公演「ATOM」と同じものを演ってくれたのですよ。
14時の部は脚本の面白さを堪能できる回、18時の部はアドリブ盛り盛りの回でした。
我が家のハナウサギさんぬいぐるみなどは、この日にお迎えしたものです。
そうそう、桜345のVHSを確か友人から借りたか何かで観た私、すっかり『目覚めて』しまいラーメンズのマンガ同人誌(※BLではないです笑)を描き上げ、即売会と通販で売ってました。受験生のはずなのに…(笑)
2004年。大阪の大学に進学し、やっとネット環境も整った私。
ヤフオクで「日本語学校」の8cmCDと、「かるた?」なんかも入手したり。
あと雑誌や書籍、DVDも相変わらずせっせと購入。
一瞬入部した合氣道部にて、ラーメンズファンの集まり「ラーメラーの会」を結成。(今なお続く集まりです)
そして大阪なので、そして大学生なので、公演に自由に足が運べる!
まぁ結婚してからも通いまくったのですが!夫も好きなんでね。
どの公演から通え始めたんかなー。
2005年の「Golden Balls Live」「ALICE」には確かに行ってるんですが…。(ファンサイトの年表とにらめっこ)
大喜利猿、「TEXT」、POTSUNEN、KKP、KAJALLA、「TOWER」、片桐仁 感涙の大秘宝展/トークショー、『小林賢太郎の「本」と「本展」/「本」公演』…
上記には確実に足を運ぶことが出来た。
ある時は親と、ある時は友人と、そしてある時は彼氏→夫と。
カジャラジオも何度も聴いてる。
まさに、「推しを推せるうちに推しまくれた!」
目いっぱい推した!愛した!
だから悔いはない。今のところ。
ただ、寂しいです。そして、もう会えないのは非常に残念で悲しい。
でも、賢太郎さんにとってはきっと新しいスタートなのでしょう。
これからもずっと憧れの人です。
裏方に回られても、ずっと応援し続けます。
なにせ仁さんご納得済みの案件ですからね、なんだか安心してます。
追記:
先ほど賢太郎さんが、公式HP「小林賢太郎のしごと」の大幅リニューアル予告をされました。
「小林賢太郎より」がなくなるとのこと。
・・・そんな・・・
やっぱり寂しいです。なくしてしまうという事実がなんだか悲しいです。
これでTwitterのマンガ「ハナウサカイグリ」が途切れてしまったらと思うと
・・・やっぱり寂しさに耐えられんです・・・あああああ
👆ラーメンズ初見の方には個人的にこれを一番おすすめしたい。
(私がラーメンズの同人に目覚めるきっかけとなってしまった一本)